2011年4月5日火曜日

  ライフ デザイン:私の30代


私の20代のテーマは・・・
1)親からの自立  
2)人生を如何に生きるべきかの探求 
3)夢の実現  
  でした。

「親からの自立」は、誰もが体験することでしょう。私の場合は、両親が3人の子供を亡くし、そして生まれた男の子なので、特別大切にされたと思います。特に母親からです。ありがたいことでしたが、それだけ親離れはたいへんなことでした。実際には、私が愛知県に就職したので、結果的に良い親離れ・子離れができたと思います。

「人生、如何に生きるべきか」の探求は、聖書に人生のバックボーンを見出したので解決!このことが、私の人生の大きな原点となりました。イギリスへの留学~妻との出会い~仕事・結婚・子育て・転職・退職・・・など、私の豊かな人生 (多難もありましたが・・・)は、すべてここから築かれていったのです。

「夢の実現」は、20代最後から30代初めに起こりました。

Royal College of Art (RCAホームページから)
RCAでデザインした電気タウンカー
小型電気トラック


30代のテーマは・・・
一言で言えば「一生懸命」。具体的には 
1)結婚・家庭づくり  
2)仕事  
3)社会的活動 

19739月(29歳)から197412(31歳)まで、イギリス・ロンドンにある Royal College of Art に留学。インダストリアルデザインと自動車デザインを学びました。その頃の留学は非常に珍しかったので、私でも留学できたのだ、と今でも思っています。



★ 「結婚」のきっかけは留学でした
初めての海外生活は、緊張と冒険と挑戦の日々でした。いろいろな支援があって、ヨーロッパデザインやデザイン方法論など良い勉強ができた、と感謝しています。勉強以外では、Mrs.Beeという日本に40年間宣教師(ご主人が亡くなられたので帰英)をしておられた方が、日本人のための集会をはじめられた頃でした。日本人の牧師夫妻も加われて、JCF (Japanese Christian Fellowship) というグループができました。
その集会で、生涯を共にするのはこの人だ、という(運命的!?)出会いを体験し、2年後に結婚したのです。
最初の住まいは、名古屋にある2DKの会社のアパートでした。

妻は家族の誕生日やイベント時によくケーキをつくりました
★「家庭づくり」は、我が人生最大のイベントでした
まず、結婚について聖書からいろいろ知りました。夫婦のコミュニケーションの大切さ。夫婦が子どもより優先されること。男の子がふたりでしたので、子育てポリシーを4つ立てました。
 1)目に見えない価値(神や芸術など)が分かること 
 2)創造性を高めること 
 3)国際性を身につけること  
 4)兄弟仲良く(聖書で最初の殺人は兄弟げんか
しかし・・・夫婦関係や子育ては何かと難しい。。。思い通りにならないし、といって思い通りになれば良いというものでもない。
そこで、結婚や子育ての本をたくさん読んだり、セミナーなどで学びました。それが定年後に、「ライフデザイン」という分野に関心を持つことになったのです。

週日は、一生懸命に仕事。実務の長として、よく働きました。
土曜日は、家族の日として、1日時間を取り家族で過ごす。家族旅行は、休日を利用していろいろな所に行きました。車での旅行はセダンではたいへん。男の子2人を連れてのドライブのために、まだその頃はワゴンがなかったので、コロナ3ドアを購入
そして日曜日は、家族揃って毎週教会に。
今から思うと・・・元気だった! 30代はそのように過ごしたのです。

最初のプロジェクト第二世代カローラ 1975

ハイエース (1977年に発売/外形デザイン担当)
省エネデザイン/部品の単純化/軽量化/良空力の追求など挑戦的で面白いプロジェクトだった

ソアラ(1981年新発売/企画担当)
高級パーソナルカーとして新たな市場を開拓/ヒット商品となる 
★「仕事」は、オイルショック後「高度成長から低成長時代」へ
私の仕事は、デザインから企画へ大きく転身。はじめのうちは提案しても提案しても課長にOKがもらえず、苦労の連続でした。
ところが、次第に時代の勢いが増してきて、さまざまな新しい車の企画をすることになり、デザインされた新車が次々に市場に投入され、非常におもしろい仕事をいくつも体験しました。
デザイン企画という、あたらしい専門ジャンルをメンバー3人で開拓していきました。それが将来、大学で教える主要なテーマとなったことは、とても不思議なことだと思います。
名古屋の新しくなった教会
ガソリンスタンドの2階レストラン閉鎖後の部屋を借りて宣教師と教会をはじめた頃
★「社会的活動」は、教会での働きが主でした
教会の新会堂建設や新しい教会開拓などに関わることができたことは、30代の良き思い出です。1981年からは、午前は名古屋の教会そして午後は豊田の開拓教会と2カ所に子ども連れで礼拝に参加、時折夜は名古屋の教会での役員会出席など、多忙な活動の時期でした。



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